龍峯寺跡に残された都城島津氏の墓所です
都城島津私領一番隊六烈士殉難慰霊碑
戊辰戦争前年の1867年12月、伏見で幕府軍の動きを偵察する斥候や警備に当たっていた都城一番隊の隊士6人は、幕府側の新選組数十人の武装行軍を発見しましたが、斥候の任務は戦わずに報告するのが本命と、直ちに本部に報告しました。
しかし、その後都城隊は前線から後衛に転陣を命ぜられたこともあり、他の隊から応戦せずに逃げ帰ったと中傷を受けた彼らは、斥候任務を果たしたことを自負しながらも京都・東寺で自害し17歳から23歳という若さで命を絶ったのです。
当時、薩摩藩から切腹は軍律違反とされて遺骨は都城に戻されず、6人の墓碑は京都市の狐塚墓地にあります。
後年、任務を果たして義心に殉じたと名誉回復され、都城島津家の歴代当主が墓参、そして平成30年には都城島津家墓地に慰霊碑を建立しました。
施設情報
所在地 | 宮崎県都城市都島町1294 |
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連絡先 | |
駐車場 | 普通車: |
アクセス | JR日豊本線西都城駅から車で約5分 |
URL | https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/4051.html |