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龍峯寺跡に残された都城島津氏の墓所です

龍峯寺(明治初期の廃仏毀釈で廃寺)は室町末期ごろ、都城領主第八代北郷讃岐守忠相が母堂松庵妙椿大姉の菩提供養のために建立し、起宗守興和尚(大姉の弟)によって開山された。

以後、島津家の墓所となっている。

※営業時間や定休日は掲載情報と変わっている場合がございます。最新情報は下記URLよりご確認下さい。

義烈塔(ぎれつとう)

安政5年(1858)11月、25代島津久静によって建立されたものです。

都城島津家の元祖北郷資忠から第12代忠能に至る間に、戦死・殉死した家臣505人の名が刻まれています。

これは、彼らの霊をなぐさめると共に、先祖の領主に対する忠誠を顕彰することで、現在及び将来の家臣が、ますます都城の発展のために、忠勤を尽くすようにと建てられたものです。

 

 

都城島津私領一番隊六烈士殉難慰霊碑

戊辰戦争前年の1867年12月、伏見で幕府軍の動きを偵察する斥候や警備に当たっていた都城一番隊の隊士6人は、幕府側の新選組数十人の武装行軍を発見しましたが、斥候の任務は戦わずに報告するのが本命と、直ちに本部に報告しました。

しかし、その後都城隊は前線から後衛に転陣を命ぜられたこともあり、他の隊から応戦せずに逃げ帰ったと中傷を受けた彼らは、斥候任務を果たしたことを自負しながらも京都・東寺で自害し17歳から23歳という若さで命を絶ったのです。

当時、薩摩藩から切腹は軍律違反とされて遺骨は都城に戻されず、6人の墓碑は京都市の狐塚墓地にあります。

後年、任務を果たして義心に殉じたと名誉回復され、都城島津家の歴代当主が墓参、そして平成30年には都城島津家墓地に慰霊碑を建立しました。

施設情報

所在地 宮崎県都城市都島町1294
連絡先
駐車場 普通車:
アクセス JR日豊本線西都城駅から車で約5分
URL https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/4051.html